思ひ出

  早朝から訓練登山で泉ヶ岳へ。多少足を伸ばして午後4時過ぎ帰宅。で、なんやかやありまして、すっかりくたびれました。ロストの原型のようなファインな仕事はこの暑さもあり到底無理。そこに嫌な仕事まで舞い込んで、今夜はビールで早仕舞いと決めました。

  以下は全くの思い出話。聞き流してください。

  コンがまだ20代後半のころ(つまりJALCO全盛時代)、洋蘭を嗜んでいる父にお客さまがいらっしゃいました。父は蘭友会の仙台会長で、全国の会の東北支部長でした。お客さまも蘭の愛好者で、4棟の温室と密かに採取した稀種の洋蘭を見学にいらしたのです。曰く「仙台に○野という若くで元気な模型を作る人がいるが、もしかしてご親戚ですか?」

「あ、そりゃウチの倅だ。おーい、◯郎ちょっと来い!」と呼ばれて、ご挨拶しました。洋蘭の他に鉄道が趣味で特に軽便鉄道を全国的に取材されているということでした。その方のお名前は「新井清彦」さんとおっしゃる方でした。以下省略。

  次に、もう30年前になりますが。つばさ模型さんのお導きで、仙北の病院で小児科を務められたお医者様と懇意になりました。そのお方もナローファンで、大変な技量をお持ちでしたが一匹狼でした。JALCOの集まりにゲストでおいでになり、乗工社のコッペルに往復フル可動のコッペル弁装置を組み込んだものを披露されました。キャラメルモーターでよく走り、皆吃驚しました。お名前は「菅原喜高先生(喜の字にはネが付きます)」とおっしゃいました。M1のネジとかいろいろお付き合いがあったのですが、残念なことに早逝されました。遺品をお預かりしたかったのですが、奥様は自分より模型を大切にしていたことが気に入らないようで、模型関係の方は一切お断り、模型は孫のおもちゃにしました、という残念な経緯でした。そう、菅原氏はペンネーム「寿蔵夫」という方です。あの伝説のダージリンBタンクを作られた方です。ですから、あのダージリンはお孫さんのおもちゃになってしまったのです。ちなみに、菅原氏はペンネームについて「ああ、あれはスクラップと読むんだよ」とおっしゃってました。ペンネームといえば、日吉菊雄氏という超ベテランモデラーがおられましたが、晩年は「岸弥吉」というペンネームで投稿されていました。その意味は「キシャキチ」という事だそうです。

  ま、TMSの山崎主筆や赤井氏も晩年は昔話に終始してました。昔話を始めると歳をとった証拠だと言われそうなので、この辺で止めます。

  昨日のお客さまの話でコッペルマレーのエッチングは7月初旬に出来上がるそうなので、それまではいさBとBrooksに専念します。シェイは一旦休止。